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幸福の報告書
レモニーが行われました。
 7年前より「陽だまり」に見事なパッチワークを展示するようになった奥様がいました。とても上品で穏やかな方です。船、船、船、と言っていた「陽だまり」のオーナー玲さんと海賊先生が合体します、そのパッチワークの奥様はそうです、海賊先生の奥様でした。飲み始めて二ヶ月、自らの体調の回復を実感し、凄い水に出合った喜びを人に伝えるようになった玲さんは水をその事業に参加される子供たちに飲ませてあげたいとの思いで、まず責任者の池林さんに話します、そして私達は海賊先生に出会う事となります。我が家から車で5分ほどの場所に「子供たちの海賊船工房」があり6月半ばより毎週土曜日に、水を運んでいます。オープニングの日は150人の食事を用意した事もあって、200リッター以上使いました。通常の土曜日は120リッターぐらいです。その工房にIさんという77歳の青年がいます。これは表現として正しいと思います。普段は車で、時には250CCのバイクで横浜から2時間以上かけてこの事業の成功のためにと通われています、誰からも好かれる人でいつも周りには笑顔が絶えません、あるときの会話です「戦時中、私は背が小さかったから乙種合格で海軍に行ったんだ、訓練のとき、走れ走れと追いまくられるんだよ、だけど渡された靴が長靴(ちょうか)なら良かったんだけど半靴だもんで脱げちゃうんだよな、サイズはでかいし、まるでポパイがブルータスの靴を履いてるようなもんだ、さらに腰には銃剣があるんだよ」軍服に身を包まれ巨大な靴を持ち銃剣を押さえ走るIさんの姿、思わず笑顔が、さらに手の傷をさして、「これはね、訓練中相手の銃剣が当たったんだよ、よせばいいのに若気の至りって言うやつで俺が前へ出過ぎちゃったんだ、オレは訓練も真面目にやっていたんだよ」身振り手振りどんな事も楽しく話してくれます。そのI青年は停年をある県の行政を監督する立場のNO2として迎えます、「学校も行ってないし運転手として入ってよくあそこまでいったな、勉強したよな、独学で・・・」精神の輝きを滲ませています。「これ見てよ、こんなにきれいになっちゃったよ」袖を巻くり上げ、腕を見せてくれます、血液の病気で血管が破れ易くちょっとした打ち身でも、すぐに周りじゅうが紫色になってしまいます、私達が水を工房に届けるようになって以来、毎週15リッターほどタンクに詰め持ち帰ります、翌週、お会いすると直ぐに「こんなになっちゃたよ」と、どんどん変わっていく腕を見せ、嬉しそうに「水頼むよ」といわれます。あるとき大きな声で子供達に「休憩」と声をかけ、「体に良い水をたくさん飲みなさいよ」と言っていました。3ヶ月が経過し普通の77歳の腕になっています。これからも益々お元気になられ工房の技術的な中心として御活躍されることと思います。ドリームシッププロジェクトはオープニングから約2ヶ月を経過し制作スペース入り口の一方にはカヌー工房と古材が彫られ、メインにはPIRATSUと流木で書かれ、触れるもの見るものわくわくする雰囲気を漂わせてい
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