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幸福の報告書

海賊船は2008年10月25日隅田川を下ります。

を読んだ。そこには全ての人を輝かせんとする池林国男という姿があった、私は54歳の普通の、あるいはそれ以下の生き方をしてきた人間かもしれない「真理先生」に接し、池林国男という人に会い、今、生涯で一番輝いているように思う。これは我が家に初めて来られたときの印象です池林氏は196925歳の若さでフランスの300年近い歴史のあるミレーが受賞し、ゴッホは取れなかったというル・サロン展で賞を受賞された方でした。96歳の祖母の作品を見て色の美しさを称え、口が悪くて申し訳ないと言いながら、なぜここに同じ大きさのものがあるの、なぜこういう向きしかないのと思いつくまま批評をしていましたが、祖母はニコニコしていました、そのはずです海賊先生は祖母の耳が遠いことを知らない上、海賊先生自身が、がちがちの大阪弁だったので祖母が理解するには私達の通訳が必要なのです、その日は構図について上手に伝えました、それ以来、とても広がりのある大きな作品を目にするようになりました。翌日、早速、図書館で「真理先生」を借り、まず私が読みました。というのは次に妻が読み最後には96歳の祖母が読んでいます。(多くの皆さんが一度は読まれているようですが)石や草ばかり数十年、描きつづけている「馬鹿一」なる人物、モデルの女性、画家を目指す若者、白雲、泰山そしてそこに登場する全ての人がそれぞれを輝かせようとしている武者小路実篤の理想の社会を感じました。何度か読み返しているうちに次の文章に目が留まりました、「人間は誰も死ぬものなり、最後に苦しんで死ぬものなり、人間は全て憐れなものなり、さればわれは人間を無限に愛するなり、そして少しでも幸福にしてあげたいと思うなり、ただ思うなり」・・・。
 池林氏はNPO法人日本アーツセンターの事務局長として活躍され、かつて知的障害者とともにカヌーを作りそこでの彼らの成長に親御さん、看護士、サポーターの皆さんと喜び合い、次に、障害者にハワイから招いたプロのダンサーにフラダンスを指導していただくという事を企画し実行されました、常識では結びつかないプロのダンサーと障害者、彼は実行しました。そこにはどんなに多くの困難と情熱が注がれたのか、とても私には想像できません。しかし予定のスケジュールが終了する頃にはダンスを学んでいる健常者も表現の豊かさに感心していたといいます。そして今「福祉医療機構」より1000万円という支援を得て健常者、障害者区別なく青少年育成を目的として海賊船(埼玉に住む子どもは東京の文化を東京の子どもは自然豊かなところのそれぞれの文化をヌスミアウというイメージから名付けられました)を作り来年9月、荒川、隅田川を18kmに亘って大きなイベントを繰り広げながら下るという企画を実行しています、今9月半ばですが船体をさかさまにした状態で船底を製作中です。正式には「ドリームシッププロジェクト」と名付けられ729日に埼玉県の副知事、飯能市長、厚生省や国土交通省の方々この事業に参加される子供達、親御さんなどで、加冶中学校のブラスバンド部の華やかな演奏を中心にオープニング
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