夢のような時間
神田正・堀朝子

四世代の旅

 この文章を朝子さんに読んでもらいました。そして句とか感想を尋ねたところ、数日してメモ用紙にこの句と文章がつづられていました。ここに載せさせていただきます。
   
   飛行機で     飛行機で    

         墓参も楽し     楽しき墓参

                 四世代     四世代

 この度の旅行で感激したことはたくさんあるのですが、二つ記します。一つは100年の開きがある四世代でのお墓参りができたこと、もう一つは長く一緒にいて感じた、ひ孫Mの車中、機中などの態度です。
 私は家の中では自分のペースで出来ることをしていますが、外へ出ると足が少々痛いので無理はできません。娘と一緒の時は娘に全てを任せ、手を引いてもらいます。電車を乗り継ぎ、羽田空港へ、久しぶりに飛行機を利用しての神戸、長男の運転する車で奈良への墓参、歩く時間はほんの僅かでしたが、なんとか自分の足で行くことができました。神様に感謝する以外ありません。
 ひ孫のMは眠っているか、ニコニコしているかどちらかのように感じました。車でも飛行機でも、長い時間同じところにシートベルトで固定されていますが、玩具もないのに御機嫌の様子にとっても感心しました。
 また来年も皆で行けたらと思っています。
                                堀 朝子
 
羽田空港

 携帯が振動した、開き、耳にあてると「昨日はどうも有り難う」娘からの言葉である。それは神戸空港から羽田に戻ってきた彼女等を、私が埼玉県入間市から、はるばる車で迎えにいったことの礼だった。
 短い旅ではあったが、もうすぐ一歳になる孫、その母である私の妻の娘、その母である妻、その母である、あと半年足らずで100歳を迎える朝子さん4世代そろっての関西への旅を終えたのでした。
 その日、帰宅(朝子さんは後日、帰宅)の予定を知っていた私は、「彼の世界」へ引き込む、孫の笑顔に会いたくて、妻に電話をかけました。「三軒茶屋(子どもたちが住んでいる)へ車を置いて羽田へ行こうかな?」と、兄のお宅で、彼女らは帰り仕度をしているところのようで、それを聞いた娘が電話を代わり、「そのまま車で羽田まで行ったらいいじゃない、環八でそのまま羽田だよ」。私は電車・モノレールでは度々行きますが車では行ったことがありません。
 早速、カーナビで羽田を検索し、セットすると何と一時間半で到着と表示されます。何時ものことで混雑を無視した時間です。ゼロ歳児のため(人混みを避ける)に車で行ってみようかなと思い、今度は、慣れていない高速道路は怖いので「高速を利用しない」を選択し検索、環七を表示しています。時間は二時間程度でした。これならどんなに混雑しても明るいうちに着けるだろうと判断しました。初めてのところは道路標示、駐車場等、暗くなると大変なことになると何度も経験していますので、絶対安全と判断しました。それでも走っているとカーナビの到着予定時間はどんどん遅くなって行くのでした。羽田の手前ではスモールランプを点灯させなければならないほどの明るさになっていまいした。
 着いた途端に大きな問題が発生、羽田空港の表示板に第一・第二と矢印が別の方向を指し示していました。彼女らが到着する便は第1か第2ターミナルなのか、ということを知りませんでした。成田のときは注意を欠かしませんが、羽田にもその問題があるとは、あまりテレビを見ない、ラジオも聞かない生活をしていますので羽田の変化を知りませんでした。そういえば最近、羽田空港がにぎやかになったと聞いたような?
 運転をしながら、どちらでもいいから止められるところに駐車しようそう決めました。次々に現れる標識を見ていると、うかうかしていると空港を出る羽目になると感じたからでした。
 着いたところは第2ターミナルのP4、そこはそれぞれの駐車スペースも広くしかも、ガラガラの状態でした。殆どの場合がそうであるように(正しいかそうでないかは確率1/2なのに)この時もそうでした。彼女らの乗った神戸からの到着便は第1ターミナルです。
 空港の連絡通路を抜けるとそこは、レストランの様で案内所は見当たりません。ウエイトレスのお姉さんに聞くと向こうの階段を下りて、このあたりですとジェスチャーで真下を指し、教えてくれました。とってもにこやかで、慣れた様子に、よく尋ねられるのだろうなと思いました。帰りも迷ってしまいました。空港関係者の方に少し工夫をお願いしたいものです。
 
 最上級の微笑み
 
 第1ターミナルへの道順を案内所で聞くと、地下へ降りて連絡通路を400メートル程だと教えてくれました。急ぎ到着カウンター10番へ向かいました。そこで手を振る娘の足もとにベビーカーに乗った「M」、近づくと「自然な最上級の微笑み」それは「彼の世界への誘い」です。
 笑顔は常に人の心を温めますね。1歳にも満たない子どもが現す笑顔、指をそれぞれ預けるとぎゅっと握り、満面を喜びに輝かせてくれます。大きくなっても時々は、こんな笑顔と会いたいものですね。この子等の未来がそれを許す時代でありますように、そして、私たちが今それを壊してしまわないよう祈りたいと思います。
 最近目にした本二冊に、同じ人の言葉が載っていました、ここに引用させて頂きます。カリール・ギブラン(カーリール・ジブラン)の「預言者」の一文です。
 
 あなたの子どもたちは、あなたの子供たちではない。
 彼らは生命そのもの息子であり、娘なのだ。
 彼らはあなたを通じて来るが、あなたから来るのではない。
 彼らはあなたとともにいるが、彼らはあなたの所有物ではない。
 あなたは彼らに愛を与えることはできても、あなたの考えを与えてはいけない。
 彼らには彼らの考えがあるからである。
 彼らの肉体に家を与えることはできても、魂に家を与えることはできない。
 彼らの魂は明日の家に住んでいるからだ。
 あなたはそこを訪れることはできない。たとえ夢の中ででもだ。
 ・・・
 あなたは弓で、あなたの子供たちはそこから放たれる生きた矢なのだ。
 射手は無限なる神の道に記された印を見る。
 そして神はその力であなたを従わせ、神の矢が素早く遠くへ行くようにするのだ。
 
 この文を何度も、何度も読み返していると、未来へと向かう幼い子供と、私たちとの関係とともに、私自身に問いかけてきます。
 50代後半の私ではありますが、弓となり育ててくれた周囲の方々に対して、もっと夢や目標に向かって努力をし、好きなこと、大切だと思うことを実行することこそ、生れてきた理由だと決め、そこにまい進して行くべきだと言われているような気がします。
 そして親として又、先にこの世に出てきたものとして私たちに出来ることは、子どもたち自身に現われる大いなる夢を現実のものとするために、喜んでその飛翔への弓となることだと思います。
 
 中止となった計画
 
 物事は計画通りにはゆきませんね。今年、夏ごろより朝子さんの4男が家族と共に朝子さんを連れて関西への旅を企画していました。お二人の娘さん御家族など総勢8人を超える車でのものと聞いていました。しかし予約日ギリギリになり、中心となっている4男等の仕事が変更となり、日程が折り合えなくなってしまったようでした。
 旅の中心は奈良県富雄にあるお寺、霊山寺へ、朝子さんの先祖のお墓参りと、兵庫県加古川にある朝子さんの20年ほど前に亡くなった御主人のお墓参りでした。
 中止を知った時、朝子さんの「1人でも大丈夫よ」の言葉が聞こえてくるようでした。100歳と言っても足と耳が少し疲れてきた老人、80歳ぐらいにしか思えません。
 5年ほど前に朝子さんの生活を文章にしたのですが、この5年間で変わったところといえば、数ヶ月前に洗濯機が水漏れをするようになってしまったので、外に置くことになり、そのために朝子さんの仕事だった「洗濯機を回して洗い上がったものを干す」ということは私の仕事になりました。自宅にいるときは一日3回毎食、犬の主食を30グラム計りキャベツを茹でておいて添え、白米を少々盛り「待て、よし」。皆の食器の片付け、洗いもの、新聞を読み、クロスワードパズルで遊び、型染め(朝子さん78歳の時に初めて習い、今、99歳にして教えています)はもちろん殆ど変っていません。今、型染めは来年の干支をあしらったデザインを完成し、着々と待っている方々のために50枚の上、描かなくてはと張り切っています。また、時々言葉に発する「向こうへ何時行ってもいいよね」「迎えに来ているのかな」なども、リアリティがありません。
 8月でしたかこんなことがありました。朝子さんが毎週日曜日に行く教会の帰りに、西武池袋線車内にて仏子到着のアナウンスを聞き、降りようとドアへ動き出しました。その時はどういうわけか直前で扉が閉まってしまい、肩が挟まり転倒してしまいました。駅員さんに助け起こして頂いて、何事もなかったように帰ってきました。早速、近くの診療所で見ていただきましたが「ちょっとした打撲ですね」で済みました。ここからが真骨頂です。その事件を聞いた二男が「危ないから、もう電車になんか乗って行かない方がいいよ」と言うと、「あの時は電車のドアが早く閉まったからああなったのだから、これからはもっと早く動き出すから心配しなくて大丈夫よ」と譲りません。さらに「皆に迷惑をかけるから」と言うと。「その時はその時、私は絶対大丈夫」。
 12月3日に新幹線で関西から戻り、4日、5日、7日と電車で教会へ通っています。
 
 四人での旅決まる
 
 「一人でも大丈夫」と言うだろう朝子さんですが、私がマリヤに「一緒に行ってきたら」と言うと、妻はもうすぐ1歳になる孫も連れて行ったらどうだろうというのです。早速、娘夫婦に連絡をとり、御主人の許可を得て実現の運びとなりました。ちょっとオーバーですが我が家にしかできない0・30・60・100「4世代の旅」です。
 一緒にということについては、日本の伝統文化の元を成し、総合芸術として広く親しまれている、お茶を長く学んでいるマリヤが、昨年あたりからお茶の文化検定を受験しています。作法のみならず人・茶器・和菓子・時代背景や史実などが試験に出るようで、利休の時代からの歴史に興味を抱き、まるで中学生の様に聖徳太子・藤原家・鎌倉時代と暗記をしています。茶道のページを開くと、大切なことは「お招きした方を、真心をこめて接待することだ」と書かれています。何事も基本はシンプルですね。
 検定合格祝いと付添を兼ねて、長男の運転で奈良へ行くことが決まっているのだったら、これからも楽しく学んでいくために、奈良の東大寺へ連れて行ってもらって、大仏様の御威光に触れるのもいいじゃないかと考えたからです。
 仏像ブームということも言われていますね。本屋さんでもたくさん、その向きの雑誌を見かけますし、若者向けの雑誌にもお寺、仏像が紹介されていると聞きます。年若い子たちがその表情・造形から何を読み取るのでしょうか?
 そして一世紀、四世代でのお墓参り、訪問を受ける方も、さぞ驚かれるでしょう。奈良にある朝子さんの先祖が眠っているお寺、霊山寺・朝子さんの御主人の永眠している墓苑訪問の旅が決まりました。
 
 鮮やかな勘違い
 
 次はどのように安く済ませるかという問題です。私たちにとって重要な問題です。
 現代はインターネットで調べると、JR新幹線・格安航空券などのびっくりするような価格の商品がたくさん出てきます。そういえば子どもがニューヨークに留学していた、3年ほど前まで、何度か訪れましたが1ドル120円から150円の時でもニューヨーク往復8万円をちょっと超える程度しか払ったことはありませんでしたね。その頃は、格安航空券は海外にだけ存在していました。今では、価格破壊があらゆるところに波及し国内旅行でも、宿泊チケット付きのプランがとっても安いと聞きます。「東京、神戸宿泊付き格安プラン」と入れてみました。たくさん出てきます。新幹線を利用してビジネスホテルつき18000円程度であります。バスなら片道4200円で神戸まで行けます。99歳と0歳児のことを考え、結局、名の通ったHISを利用することにしました。航空機で東京〜神戸往復、一人往復18000円、朝子さんは片道なので9000円、ゼロ歳児は無料です。さらに神戸空港まで長男が迎えに来てくださることになりました。朝子さんの帰りは新幹線です。JRのサービスで、吉永小百合がポスターと成っている、一定の年齢を超えると入会することができて、片道200qを超えるとお得な切符が手に入るジパング倶楽部に入会していますので半額ぐらいになるサービスを使います。長男が新幹線の駅、西明石まで同行し新幹線に乗せます。東京駅には娘(マリヤ)が待ち構えていて手を引き一緒に帰宅、こんな段取りです。約3時間一人でいます。何回となく往復し何時も話題にするのが富士山です。見えた、見えない。西武線に乗っていてもこれからの季節きれいに見えましたか?と話します。どちらにしても私たちにとって大きな存在なのでしょうね、富士山は。
 日程は妻が出演する地元アミーゴが毎年行っている市民オペラの発表会が済んだ後の11月29日出発と決まりました。朝子さんは一週間ほどゆっくりします。他の3人は2泊3日です。
 「鮮やかな失敗と表現する」しかないような勘違いを紹介いたしましょう。出発当日の朝マリヤに、「何時に出かけるの」と聞くと「7時でいいと思うの」と言います。所沢からバスで羽田まで行くと聞いていましたので7時15分ごろの電車で所沢駅に着き直行のバスでゆくものと理解していました。車に乗ってからマリヤが所沢まで何分かかる?聞きます。車で20分足らずと思い込んでいるではありませんか。夜中に走ったなら可能だろうが、いったい何を勘違いしたのでしょうか。私に相談されていたら、1時間前には家を出ようと言ったと思います。しかし、マリヤは7時過ぎに家を出て平然と7時40分発の羽田直行便に乗る予定だと告げます。時として、結構、多いかもしれませんが、笑うしかない勘違いをするものですね、私たちは。結果として、西武線・JR・モノレールと何時もの様に乗って行ったようです。何時もより余裕を持って。
 そして11時過ぎに子どもたちとも合流したというメールが入りました。でも、計画をしたら確認をお願いしたいものですね。どなたかに。
 メールがバトンタッチを知らせてきました。
 「13時前には長男にも会え、本日の行程は自宅への走行のみとなりました」。
 そして、温かいご夫妻と共に、奈良の霊山寺でご先祖へ挨拶をし、兵庫では、それぞれが亡き御主人、父、祖父、である拓也氏に対し、安らかに、家族を見守り続けて下さいと祈りを捧げたことでしょう。新しい家族{M}にも拓也氏の人生を伝えたいと思います。
 
 終章
 
 約20年という時間を女房の母として一緒に暮らしてきた堀朝子さんのこと、100歳を数カ月後に迎えようとしています。毎週通う教会でのこと、近しい親戚の方の訪問会話など、楽しい事、生きていて良かったと思うことがたくさんあるのが分かります。
 しかし、朝子さんの様に長生き、健康で長生き、と誰もが望むのでしょうが一緒に暮らして、とっても良く分かることがあります。長生きは大変だということです。
 「私、家族じゃないみたい」このもの凄い孤独感、言葉にさせてはいけない様にも思いますが、このように言えることが我が家の状況だということです。
 耳が良く聞こえなくなって久しくなりますが、少しお高い補聴器を買い求め、会話が成り立たないものかとやってみました。本人が会話の内容を予想出来るときは全くといってよいほど不自由しませんが、予想できないことには反応できません。つまり聞こえないということです。補聴器屋さんの言葉、「とっても勘が良い方ですね」殆ど聞こえていないのに理解してしまうということでした。先日も、大音量でテレビをかけ、聞こえますかと聞くと、音はするが理解できないと言います。私は声が高いのか、細いのか、どうも彼女の聞こえる周波数の範囲にあるらしい。時々、私が通訳を行います。怒っているような表情と声になったりしますね。大きな声を出すことは。
 会話の不足が先ほどの表現につながるのですが、我が家は、様々な活動を私たち夫婦がしていますのでたくさんの方が出入りしてくださいます。朝子さんの「型染め」がその方たちに見ていただけます。そして、会話が始まります。思いやりのある多くの方に囲まれた、楽しい会話を聞くことが私たちの楽しみです。
 健康で長生きと言いますが、健康ではいられませんよね、100歳にもなれば。あれこれ一つ、ひとつ身体のパーツを見ていくと皆、痛んでいるようです。掛かり付けの医者にも通っています。入院するまでには成っていない程度の様に思われます。そして、肝心なことは、「絶対入院はしない」と本人が決めていることです。
 多くの知り合いが自分より早く、若くしてこの世を去ってゆくことは、何より寂しい限りだと言います。
 1911年4月、この世に生まれ、100歳を迎えようとしている朝子さん。愚痴を言わず全てを受け入れ、様々な時を「夢のような時間」に変えて、記憶に留めているようです。
 様々な流れの中、四世代の旅を終え日常に戻った朝子さん、私たち。
 2011年4月25日朝子さんの「記念すべき」100歳の誕生日を、少し楽しく迎える準備を始めようと思います。