新しい価値観を求めて

1月

                   生きているということ                      

 私は137億年という年月を経て、この世に生れて来たと思っています。つまり私だけでなく、今、生存している命あるものはすべて、137億年前にあったとされるビッグバンより始まり、現在に至っている訳であります。
 生命の発生は35億年前とされていますので、それ以前は勿論、700万年前に人類がこの地球に誕生するまで、人間の意志は存在し得なかったわけです。
 700万年前人類が発生し初めて、人間としての、個人の意思が表現されたのでしょう。
 そうは言っても、いきなり人間となったわけではないのでしょうから徐々に、その人間としての感情や心、あるいは意思を獲得していったのではないのかと思います。
 それは、他生物との生存競争に明けくれ、命をかけた追いつ、追われつの時間の繰り返し、日々だったと想像いたします。
 そして、それはつい最近までそのような状況にあったと思っています。少し前、数千年前に文明と言われるものが築かれ、生存競争から免れた人間が現れました。しかし、その陰で多くの人々は他生物との競争以外に、人と人との間で生き残るための激闘を強いられていました。
 戦争という嵐をいくつも潜り抜け、時代は進み、日本あるいは先進諸国と言われる国々においてすべて平均的豊かさという時代を経て2009年、私は日本という国に生きているのですが、700万年前と同じような生き残るだけの戦いの中に返ったような気がしております。
 2050年、すぐ先の時代私たちの子供たちが、老後を迎える頃ということです。今の世、個人における才能、力量がその個人の豊かさのために使われているように思います。資本主義、自由主義という制度においては素晴らしい魔力を発揮したのかもしれませんが、その力は本来的に個人ではなく、人類のものなのではないでしょうか。それは宇宙がもつ力を発見、あるいは発揮したものであり、決して個人の占有できるものではないと思います。
 新しい富の分配システムが考えられ、すべて、人が応分の努力をされたとき、その努力は等しく評価され、お互いの違い、すなわち能力の違いを乗り越えて、平等という評価がなされる社会であってほしいと望みます。

      
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