真っ直ぐが駄目なら曲がる

私もすでに立派な老人だが、若いときと違うことはある時は意欲満々でも、すぐにやる気をなくし、体力も付いてこないことである。これが老人だと知ったのはいつごろだったか。しかし、このままでは「ホントですね」というだけの句。この{一日}を{ときどき}に変えてみると、ムラッ気のある老人像が出せることに気ずいた。今時の元気な老人像である。

成案

初案

私は朝目覚めてから直ぐ起き上がれない。しばら床の中でもそもそしながら、「さあ、起きなさい」と体に一声懸けてようやく起き上がる。この句はその床の中でぐずぐずする気分が言いたいのだが、気分を形で表すのは難しい。そこで {寝返り}という言葉を思いつき、気分に形を与えた。なおまた、今年初めて祝日として制定された{昭和の日}を置くことで、私達が人生の大半を過ごした昭和の時代への複雑な思い、戦争とか戦後の復興などと激変した時代に対して、なんともいえず歯がゆく生きてきた思いのようなものが表現できたかもしれないと、いささか思っている。 

成案

私の推敲課程

老人の一日元気さるすべり

老人のときどき元気さるすべり

起き上がるまへの寝返り昭和の日


成案
初案

春深しさめてから起き上がるまで

道なりにまっすぐ行けり秋の人

俳句十月号

特集「私の推敲課程」より

桑原三郎

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行く人は必ずまがり秋の暮
 道を訊ねられたときなどに、道なりに真っ直ぐ行っ
てください、などと答えることがある。道の形に沿い曲
がっている所は曲がりながら行くということだが、この
「曲がりながら真っ直ぐ」行くという言葉の矛盾に惹か
れたただ、一句にしてみると、作品の意図があらわ
に出てしまい面白くもなんともない。そこで、この句の
発想の元である{道なり}の言葉を消すこととしたが
、この場合「真っ直ぐ」に代わるものは「曲がる」ことで
あると気づいた。道はしばしば人の生き方などに譬え
られる。そのことも十分に考えた上で、また、芭蕉の
{この道や行く人なしに秋の暮}も頭に入れながら、
しかし、「秋の暮」という季語の持つ侘びしさの魅力も
取り入れて成った句である
初案