俳句界より1

歳華集の頃の兜子

昭和55年頃 兜子と筆者(右)

かね」と一冊の俳誌を手渡してくれた。受け取ってみるとその薄い冊子の表紙には「渦」とある。その男性が赤尾兜子であった。いま手元にある「渦」のバックナンバーに当たってみると、それはその年の8・9月号であり、次のような兜子の句が載っている。
夏至の山切り塩一握に地を鎮む
巣立鳥雨中嘴開く亡き数に
大花火床下に蛇かがむ(足偏に居)ころ
黄西瓜食うアラブにゲリラなき時も
あじさい盗み軽症の人去りぬ
先行の人になおあり蝉の空
いずれの句も後に出版された第三句集「歳華集」に収録されているが、私がこれまでに知ったいわゆる名句とはどこか違う不思議な雰囲気を湛えており、妙に惹かれた。その惹かれた理由を一言で言うのはむずかしいが、言えば言葉の取り合わせの多彩さと言うか、そこに現出された空間の軽妙でやや異様な感じとでもいうか、そこに惹かれたのであろう。言って見れば出会いとはそんなものなのであろうか。それから暫くして私は、「渦」に入会した。兜子に惹かれたというよりも兜子の俳句に惹かれてのことだったといまは思う。それからの私は遡って兜子の句を知ることに努めた。もちろん有名な{蛇}の句などいくつかの句は知っていたのだが、
山鳩の塒うしなう月の道
鉄階にいる蜘蛛智慧をかがやかす
音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢
広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み

桑原三郎

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赤尾兜子の俳句に出会ったのは昭和四十年代も終わりの頃、
 音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢
 広場に裂けた木塩の周りに塩軋み
 など、兜子の青年期の作として知られた諸作についてである。
 二十代の頃俳句に手を初めながら勉強を怠っていた私は、その頃になって思い直し嘗ての新興俳句の作家について、それらの作家たちの句について吸い込まれるように知識に取り入れていった。そして関心を持ったのは新興俳句の句だけでなく、その系譜を引き継ぐ高柳重信、赤尾兜子、三橋敏雄、そして河原批杷男、安井浩司、大岡頌司などの作家にも及んだ。そんななかで兜子の句は異彩を放っていた。それはこれまで読んだ俳句とは全く違う、心の襞を掻きむしるような奇妙な感じを受ける俳句であった。その幾分の異様さと不思議な感覚が兜子俳句に出会ったときの印象である。
兜子に初めて会ったのは昭和四十七年の秋、この年の十一に東京・麹町の全国町村議員会館で開かれた「俳句評論」の創刊十五周年記念全国大会の会場であった。この日は新参者の私にとって知り合いといえば地元の俳句講座の師である三橋敏雄ただ一人。だから会の最中も休憩時間も会場の隅っこで人々の話を聞きながらぼんやり過ごしていた。そんな時、隣にさっきまで壇上にいたやや痩せぎすの男性が「きみ、桑原君やろ、これ読まん